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演奏者として、良い演奏をすること、スコアを読むこと [演奏]

(この文章は、2017年9月末にTwitterでつぶやいたことをまとめたものです)

1.何がいけないの?

 そうか、たいていの人は、譜面もらって、音さらって、曲を覚えて、指示に従う、で本番迎えてしまうのね? ゴールがそこぢゃ良い演奏なんて期待できないし、毎回同じことの繰り返し。おいらは、知らない曲なら、まずスコア読んで、色々な演奏聴いて曲を覚える。それから表現できる運指考えます。

 ポイントはスコアの有無かも。最初から自分の役割がわからなければ、どう表現すべきかわからないよね。音だしてから考えるのは、スタートから間違ってます。新曲でもまったく同じ。考えてから音を出さないと。これ、必ず試験に出ますw

 なんとなく曲を知ってるから、すぐに楽器を抱えてパート譜見て音出して、白丸など単純な音符はつまらないから、弾きにくそうなところだけさらって練習した気になって、いつまでたっても表現は指示待ち族。初見でもないのに#や♭落としまくり。ホルンみたいな音ってなんだよ、何お嬢様終わりって?ってなってしまう。おいらからすれば、最初から徹底的にスコア読めです。

 でもね、スコアをどう読んだら良いか、わからない人が大半みたい。今回はこのスコアの読み方がテーマです。


2.自分が目指すべき音楽を知らない、説明できない

 良い音楽、目指すべき音楽、やりたい音楽を明確にした上で、音楽の3要素(メロディ、リズム、ハーモニー)のそれぞれをどうすべきかを丁寧に表現する。メロディをどう演奏することが良いことなのか、ダメな演奏はどのようなものか? 何が悪いのか。これをリズム、和声でも同様にやる。そのためには、スコアのどこをどう読めば良いか、ロジカルに知らなければいけません。

 スコアを読むといっても、楽譜の絵面をビジュアルに読む、マーキングする、頭の中で音を鳴らす、スコアを読みながら音源を聴く、拍を数えながら聴く、エア指揮をしてみる、モチーフや和声を分析しながら読む、エディションの違いを比べてみる、ピアノで音を出しながら読む等々、いろいろ方法論はありますね。

 素人集団が年に一度の演奏会を行うというフォーマットに限定してだけど、目指すべき音楽ってぢつはあまり真剣に考えられていないのかもしれません。常設オケとすると、師匠のささ氏などは作曲家が本当に表現したかったことの再現、それを通じて作品の別の側面の魅力を打ち出せたらだし、ひよかん先生などは客席埋めるのが基準。おいらは、作品の持つ本質を自分が理解した範囲で忠実に表現したいかな。

 おいらとしては、結果的には自己満足でしかないのかもしれないな。ただ、良い音楽は人それぞれかもしれないけど、間違った音楽は定義できるし、巷に溢れてると思います。それだけは自分ではやりたくないんだよな。時間と技術という制約の中で、何を一番間違えちゃいけないかということが次のお題。

 あ、スコア読むって、音楽を黙読することなのね。楽器を弾くのは朗読。そりゃ黙読して理解しなけりゃ、ちゃんと朗読はできないわな。楽譜を読める人は、楽譜を黙読しないと。しない人は本が嫌いなのかな? ああ、でもちょっと違うかも。黙読してても、楽器鳴らした途端、音楽がすっ飛んでしまう人もいる。うまく弾けないという言い訳を残して。でも、よくよく聞いてみると、やっぱり音楽自体をどう弾いて良いかわからない、どう表現すべきかわらかないと言われてしまう。これは謎。


3.黙読のための3つのチェック

 スコアを黙読するって言ったけど、いきなり読んでも洋書みたいな感覚のはず。なので、おいらはスコアを入手したら、まずいろいろ書き込むことを推奨してます。単語の意味を行間に書くみたいにね。スコアは自分のノートなんだから、たくさんメモしなきゃ。でも、おいらの周りの人たちは、ちっともやってくれないんだよな。

 メモなんだから何を書いても良いと思うのです。音楽的な「正しい」解釈ぢゃなくても良し。ここ綺麗とか、この音好きとか。和書スコアなら解説読んでここから再現部だよとメモっても良し。でも、自分の気持ちをポエムで書いたり、似顔絵などの落書きは意味ないからね。おいらは、今シーズンのメトでは、音符の上に「ナカフクラミ」とか「お嬢様終わり」とか書いてましたよ。

 普段書くのはいろいろな記号や数字かな。このあたりはまた実例見せながら説明する予定。こうした準備をすると、スコアを読みながら音源聴く作業などが、それまでとまったく変わってくるはず。単語調べた上でリスニングしたら、耳から入ってくる音がだいぶハッキリと聞き取れるようになれるでしょ? その結果、意味がわかってくる。

 最初は黙読なので実際に音を鳴らさない、音を聴かない状態でスコアを眺めますが、思いつくままに3つのことをオススメします。そして、この3つのことについてスコアに書き込んで欲しい。知ってる曲も知らない曲も、機械的に作業ができるし、機械的に作業することが大事です。

 まずは全体感を掴む。最初と最後はとくによく読んで。どんな始まりでどんな終わり方をするのか? 曲の長さや全体の構成はどうか、クライマックスはどのあたりか?等々。提示部とかトリオとか、日本語解説読んでそれをそのまま転記しても良し、形式やモチーフを丁寧に書いても良し。この辺りといった漠然としたメモではなく、この小節、この音など、できるだけ位置関係は明確にすることがポイント。

 次に、テンポや音量、あるいは音色とかの変化を掴んで気づいたことを書き込む。とくに早い箇所はどこか? 最大音量は何か?など。ボトムやピークを機械的に探して、演奏のコントロールや練習の時間配分を最初から考えておく。これは自分のパートだけでなく、全部のパートでやるのがオススメ。オケの一員として、自分を相対化するんです。

 最後は、わからない単語、数えられないテンポ、見たことのない記号など、わからないことは必ず「?」とメモをしておいてください。楽譜の情報量なんてたかが知れてるけど、それでも必要のないことは一切書いてないのです。正直、調べるのが面倒臭い人が大半だと思いますけど、これこそが練習のはず。楽器を弾くことだけが練習ではないので。

 残念ながら、この3つだけでもちゃんとやる人ってほとんどいないと思う。みんなわかったような気で演奏してしまう。わからないことだらけなんだから、それを誤魔化さないで。合奏はその疑問を共有し、みんなで解決していくところのはず。もっともっと音楽に対して真摯に、謙虚にならないと、良い演奏は出来ないのです。

 そうそう、全体感ってとっても抽象的だけど、例えばdivが多いとか、パートが5つに分かれるとか、他パートとのtuttiがあるとか、音数が多い少ないとか、そんなことで良いんです。漠然と意識するだけでなく、それをメモという形で可視化して、常にそれを意識していれば、合奏でも耳が良くなるはず。前と同じように弾くとか、初めて出てくるぞとか。自分で問題意識を持つということがとっても大事。


4.音源を聴きながらスコアを読む

 機械的な準備が出来たら、次は頭の中で音を鳴らすでも良し、音源を聴きながらスコアを読むでも良し。おいらは、知らない曲ならば、まずはスコア見ながら音源を何度も何度も聴いて、音や作品の基礎的なイメージをインプットするかな。音源を聴くことって、演奏者の癖や解釈、録音特性等もあって間違ったことを覚えてしまうという弊害もあるんで、一つだけにせずに何種類も聴く必要があります。

 音源を聴くときに注意することは3つ。一番良くやるのは、木管、金管、打楽器、弦の別に、フレーズや休みの後の入りをグルーピングして印をつけること。これで、どの音を聴けばよいかがよく分かる。カクテルパーティ効果ね。おいらは高校のときから、これはほんとに愚直にやった。うちにあるスコアの7割くらい書き込んでると思うよ。

 次に、ベースビートを確認すること。とくに変拍子などがそうだけど、テンポが変わるところで数える基礎単位をメモします。端的に言えば、自分が指揮者になったと想定して、指揮棒を振る時の拍の数え方を考えます。4拍子でも4つでとるか分割の8つでとるかなど。無理ない範囲で最小単位で数えることを推奨。Moderatoくらいならば8分音符単位か、できれば16分音符単位としてみるなど。実際に書き込む際は、三角形やレ点みたいに図で書くことが多いし、細かく書くときは音符を××として旗で結んだり。

 そして最後は小節割りの書き込み。出版譜ではよく練習番号が付与されるけど、それを埋める小節単位での数え方のこと。JPOPやロックなどポピュラー作品は大抵4小節や8小節単位だけど、クラシックは2小節+3小節+5小節とか平気であるからね。スコアを数ページごとに概観して、旗やスラーの塊を単位としてフレーズの塊を見つけて、その塊で小節の塊を数えていく。ソナタ形式の展開部などは良くこれをするかな。

 こういうことって、パート譜だけでは絶対にわからない。指揮者はスコアをみて指示を出すんだから、奏者も同じ土俵に乗らないと効率悪いこと極りない。単打かトレモロか、A線かE線かなんて、指揮者にとっては正直どうでもいい。どういう音楽なのかを、合奏開始の前にしっかり予習することが大事。

 こうしたことは、トップだけがやれば良いことと思うならばそれまで。弾けるようになってから勉強すれば良いと思ってたらそれまで。ひよっこでも未熟者でも、自分の頭で考えて、愚直にトレーニングすることは出来るはず。半年も続ければ、聴こえてくる音が増えて、目から鱗になること間違いないです。


5.裏拍や拍を埋めて数えながらスコアを読む

 スコア見ながら音源を聴くときに、目印をつけてカクテルパーティ効果を狙うのは第一歩だし、好きな箇所を作ったり、好きな音を探すのも良し。いろいろな音源を比べてみることも必須。この辺は映像ぢゃない方が音に集中できるかも。そしてオススメは数えること。

 ぢつは最近の発見だけど、譜面読むときに、拍を数えない人がものすごく多いのね。嘘だと思うような話だけど、ほんとに数えてない。数えてても、正拍だけでなんとなくしか数えてない。なので裏拍続けられないし、音源通りのテンポ操作が自分で出来ない。奏者ならば誰でもエア指揮が出来なければなりません。これ物凄く大事。

 おいらは音源聴きながらエア指揮をすることがとっても多いけど、意識的にリズム遊びします。4拍子の曲を3拍子で数えたり、3拍子2小節を2拍3連でとったり。すると、強拍や弱拍の位置が変わるので、どこにビートがあるかをとても意識出来る。合奏で揃わない箇所も正しく数えられるようになる。

 そうそう、数える人でも数え方がおかしいことが多いかも。イチ、ニッ、サンって点で数えるよね。あまりイーチーニーイーサーンーって線や面、円で数えてくれない。指揮の打点を示すなら点で表現してもいいんだけど、演奏者がそうしてしまうと、拍がパルスになってしまって、次の予測がつかない数え方になってしまう。これでは意味がないのでくれぐれもご注意を。

 例えば藤掛さんのパストラ、2/4拍子の冒頭、正拍で数える人が大半だけど、これを16分で数えてくれない。ミミミミレレレレミミミミレレレレドドレレミミミミレレレレレレレレって。こう数えると、8小節目の低音の8分ラソファミが、ナカフクラミしがち(ンラー・ンソオオオオ・フアアアア
・ミー、、、)なのがよく分かる。

 もっと遊ぶと、16分3連でとってみる。ミミミミミミレレレレレレミミミミミミレレレレレレレドドドレレレミミミミミミレレレレレレレレレレレレ。こうすると、いかに各小節2拍目の4分をいい加減な長さで感じてるかがわかる。そういう演奏は、正直、聴いてられない。これがお嬢様終わりね。

 あれ? もしかして、これを微分したのがクボタメソッド? ま、おいらにとってのダウンアップの回転数は正確性やリズムというよりも、緊張感を打ち出すものだから、固定的なスピードはありえないんだけど、これはこれで一つの解法なのかもね。

 数える数えないで言うと、ラッタの英雄冒頭なんかも、普通に数えていくとつながらない変な演奏が多いよねw テンポ変化に必然性が感じられないで、奇を狙った小手先だけの工夫は残念だなと思ってしまいます。普遍性があって模範的な演奏がすぐに見つからず、変な演奏が大量に再生産されるのはちとつらい。


6.違いを感じたら具体的に表現すること

 曲を覚える段階では出来るだけたくさんの種類の音源を聴き、それらの違いを具体的に探すこと。テンポや雰囲気等なんとなくではなく、この小節のここのバランスが違う、このフレーズのスラーの掛かり方が違う、fの立ち上がりが違う、和声の移行方法が違う等々。

 この段階ではまだ良い悪いではなく、演奏上、どういう表現の手段があるのかという、選択肢を増やすための作業だと思って。ユニゾンのバランスは高音が聴こえるか低音主体か、ビートを打って推進力を出すのか打たないで小節線を消して推進させるか、旋律と伴奏のバランスは対等か否か、等々。

 気になった違いはどんどんスコアにメモ。音やアクセントの強弱、長さの長短、バランスの相違、crescやdimのピークと音量変化の傾き、音の立ち上がりの速さと切れる直前の減衰、等々。具体的な作品の中でこれらの違いが分からなければ、演奏者として指揮者や作品の要求に応えられるわけがない。

 おいらは、マンドリンという大抵は編曲を通じた演奏になることもあって、音源を聴くときは例えばオケ曲ならばピアノ連弾版や室内楽版など、原曲の編成とは異なる演奏を探して聴くことが多いです。ピアノ曲ならば誰かの管弦楽編曲版とか。作品やモチーフ、和声等の骨格がよく分かるのでこの聴き方はオススメです。

 残念ながら、マンドリンオリジナル作品って、他の編成への編曲がまったくないんですね。確かにクラシック作品は出版社の都合や当時のメディアの問題で、原曲通りの編成ではめったに演奏されなかった、編曲はその代替品で必要悪だったって事実もあるんでしょうけど。マンドリンオリジナル作品は、近現代に集中しているため比較的容易に譜面を入手できて音源も探せるので、作品の本質や楽器編成を超えた普遍性が、なかなか追求されないし、それを知る手段が提供されていない。ちょっと残念な状況です。


7.黙読とは記憶とスコアの音符を対応させること

 いよいよ本当の黙読。大事なことは最初から最後まで曲を通して音をならせること。ソルフェージュ出来る人は当たり前に出来ることだけど、スコアの音符を見てちゃんと頭の中でなることがスタート。最初は主旋律だけで良いので、ちゃんと追いかけて歌えること。部分部分だけではなく、曲を最後まで通して。

 ま、黙読なので、この際音程はあまり正しくなくて良し。機械的にスコアに書かれた音符を追いかけて、自分の頭の中で音のイメージを作れること。テンポはゆっくりでも可。どこから始めても、ちゃんと曲が流れるように。拍を数えてないと正しく音が流れないので、そういう場所に要注意。エア指揮推奨。

 音が鳴らなかったら、まだ曲を覚えてないことなので(もちろん、音符見て頭の中で音をならせる人は、この部分は飛ばしてください)、もう一度音源を聴いて。単純に言えば、主旋律で良いので曲を丸暗記して、その記憶とスコア上の音符とをしっかり対応させる。それが出来たら、スコアを縦横斜めに読むけど、それは次項で。

 そうそう、パート譜よりもスコアの方が物理的に優れてるところは、時間感覚が実感と近いこと。順に左から右に流れて省略がないから、曲の構成やメリハリをつかみやすいし、譜わりに余裕があるのでリズムを直感的に捉えやすい等。あまり意識しないかもしれないけど、楽譜の風景は深層心理的にとても大事なんです。パート譜で難しいリズムでも、スコアを見て、他パートと重ねてみると、なんだそういうことねって分かる部分が多いですよ。


8.あらためて良い演奏とは? 何のためにスコアを読むのか?

 さてさて、ようやく究極の課題。良い演奏のためにはスコアを読む、どう読むかまではお話しました。でも、そもそも良い演奏とはどういうものでしょう? あくまでも演奏者目線にしましょう。おいらとしては次の二つ。期待に応え期待を裏切ること、そして情報量が多いこと。これに集約されます。良く歌う、楽器が鳴っている、揃ってる、これらは目的ではなく手段です。わかってもらえますかね?

 まずは期待に応えること。音楽をやっていればわかりますが、作品にはそれ自身が持つ大きな力があり、それをそのまま表現した演奏が良い演奏です。聴き手が期待する展開、音量や音色、表情づけやリズム等々、奇を衒わずあくまでも自然に、その作曲家らしい語法で、その時代らしい表現で演奏されたものが良い演奏。基本中の基本です。

 聴き手としては、出来れば多少音楽を知っている人を想定してください。端的に言えばプロの鑑賞に耐えうるレベルです。演奏技術の稚拙さや未熟さは、プロであれば差し引いて聴いてくれるので問題なし。本質のところで、真摯に期待に応えてくれる演奏が好まれるし、繰り返しの鑑賞にも耐えられるはずです。

 その上で、この期待を上回る演奏を目指すべき。クライバーが熱狂されるのは期待以上の躍動感があるから。チェリビダッケが賞賛されるのは期待以上の美しさや繊細さ、緊張感を表現するから。聴衆は演奏会に非日常を求め、我を忘れるほどの心の揺さぶりを、心からの感動を期待してるはずです。

 とはいえ実際には、こうした聴衆をどう想定するかによって、力の入れ方が変わってしまいますね。なのでおいらはもう一つ、自分自身の判断基準として「情報量の多さ」を使います。情報量の多い演奏ってわかりますか? ありとあらゆる要素が情報量になります。音の塊が4K8Kで聴こえる感じ。解像度の高さ、明晰さだけでなく、逆にわざとぼかしているんだなってことも情報の一つです。

 こんな音色があるのね?あ、モチーフが変容した、もしかして〇〇を意識した?本当はこういう曲にしたかった? この響きを言いたかったのね? こういう世界観か?等々。様々な妄想を膨らませることができる情報を持つ演奏が良い演奏だと思うのです。あ、今日は調子悪って奏者の情報は不要ですよ。


9.スコアの「何」を読むべきか?

 ありたい演奏をこう定義した上で、スコアの「何」を読むのか? スコアを縦横斜めに読むとはどいういうことか? 結論から言うと、作品を様々な視点で捉えるということかな。

 例えば横に読む。旋律の受け渡しを頭の中で鳴らしてみる。どの音がきっかけになって和声が変わるかを感じる等。

 縦に読む。その瞬間の音域の広さ狭さによる緊張感の違いを捉える。強弱や立ち上がるバランスによって響きの混ざり方が変わることを知る。オケの配置から音の出てくる方向性や立体感を想像する等。
 
 斜めに読む。フレーズや和声の塊単位での時間の変化、モチーフの変遷を感じる。次の部分に移る必然性を探す。曲の最初の部分が最後の箇所を包含してること、個が全で全が個であることを理解する。疑問に思ったら、同じ作曲家の他の作品を読んでみる等。

 ここまでは、初合奏前までに演奏者が一人でできる大事な頭の準備体操だと思うのです。あらためてスコアの「何」を読むのか? そこに書かれた音符の意味、表情記号の意味、テンポ変化の意味、スラーのかかり方の意味、動機や構造、そんな全てを読み取り、作曲家の意図を推測することだと思います。

 長々と書き連ねたシリーズもこれで終わり。どこまで自分を追い込めるかは、その人次第なので他人と比べる必要はないと思います。でも同じ時間を費やすならば、これらを意識して少しでも成長していきたい、仲間とともに学び続け、昨日よりも良い演奏をしたい、忘れられない時間を体験したいと思うのです。

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ベル・クォーレ マンドリンコンサートNo.34 [演奏会]

間際のご案内。

明日の午後1時半より、築地市場の浜離宮朝日ホールにて、ベル・クォーレの演奏会があります。
昨年のチャイコ弦セレで、何か一皮向けた感のあるこのオケ、今年は「ファンデーション」という概念を用いて、さらなる飛躍をするべく、練習を続けてまいりました。

「ファンデーション」とは、音の響きのベースにあるもので、これまで以上に音の処理(とくにフレーズの終わりなど)に神経を使って、自然なフレージングや音楽的な表現を磨いて
きました。

もちろん、まだまだ発展途上、思い通りにならない箇所も多々あろうかと思いますが、ごくごくふつーの目黒のおばちゃん達が、高い理想に向けて精一杯頑張りましたので、お時間のある方は是非、遊びにきてください。ご連絡いただければ、チケットご用意します。


ベル・クォーレ マンドリンコンサート No.34

日時:平成28年5月14日(土) 1時半開場、2時開演
場所:浜離宮朝日ホール
指揮:小出雄聖
曲目:
 1.バッハ=マーラー/佐藤編 G線上のアリア
 2.グリーグ/佐藤編 2つの悲しい旋律 作品34
    ・胸のいたで
    ・過ぎた春
 3.プッチーニ/佐藤編 弦楽四重奏曲「菊」
 4.V.ウィリアムズ/佐藤編 グリーンスリーブス幻想曲
 5.ラヴェル/佐藤編 組曲マ・メール・ロワ
    ・眠れる森の美女のパヴァーヌ
    ・親指小僧
    ・パゴダの女王レドロネット
    ・美女と野獣の対話
    ・妖精の園

 http://www.belcuore.org/kai&katsudo_oshirase/Bel_no34%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7.pdf


今回は、全曲私が書き下ろしで編曲しました。ラヴェルは控えめな打楽器入り。マンドリンオケでは珍しい、Wind Chime(TreeChime)を取り入れて、Harpの代用をしています。奏者はいつもの安定した萩原さん他。
私の編曲にしては珍しく、かなりギターが活躍するシーンがみられると思います、、、と、メンバーにプレッシャーかけておこうw


それでわ、明日の昼、朝日ホールにてお待ちしています。


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大人のプラモデル説 ~私がクラシック音楽作品をマンドリン編曲する理由 [編曲]

フランク「ヴァイオリンソナタ」、マーラー「花の章」、ワーグナー「ジークフリート牧歌」、ラヴェル「古風なメヌエット」、セヴラック「休暇の日々から第1集」、そしてシューマン「交響曲第4番」等々。私がマンドリン合奏用に編曲した作品も、細かく数えれば100曲超となりました。

マンドリン愛好家の方々は、哀愁を帯びた音色、全員fの迫力あるトレモロが大好きという方も多いのですが、普段オーケストラやピアノなどを聴かれている方からすると、マンドリンは、キンキン、ペンペン、じゃみじゃみとびっくりするほど不自然で、ノイジーで、攻撃的だという印象です。1時間も聴かされると飽きてしまうし、マンドリンって何を聴いてもみんな同じに聴こえる、音量や早弾きなど機能的に不可能なのに無理して痛々しいと思われる方も多いと思います。だからこそ、マンドリンはオリジナルに限る、クラシック作品の編曲などは邪道だ、といった批判も昔からあって、そのたびに私は残念な気持ちになっていました。

マンドリンオーケストラは、純粋に音響や機能性を考えると、扱いにくいことは確かです。楽器の種類が少なく、またどの楽器も発音方法が同じなので基本的には同じトーンとなります。一人一人の音色が独立して聴こえがちで、あまり音が溶けて混じるという感覚がなく、合唱のように和声をはめる、響きを一つにしていくということが苦手です。ということは、複数の旋律が分離しにくく、油絵のような鮮やかなコントラストや写実的な表現にはならない、せいぜいせいぜいパステルの素描画や水墨画のようなトーン(線が重なりあうモアレ模様だと表現する方もいます)が精一杯ではないか、だからこそオーケストラ編曲なんてやるべきではないし、たとえ演奏しても期待はずれでがっかりするだけだと思われてしまっています。

ザラザラしてちっとも写実的ではない、音楽を表現するには不自由なメディアなんだ、確かにそうなのかもしれません。でもだからこそ、私は何かの本質に迫れるような気がしています。本物の良いところをデフォルメできる魅力、本物よりも本物らしいことができる魅力、そんなことがマンドリンオーケストラにあるのではないかと思うのです。そして、演奏者からすれば、あるときはオーボエの音色を意識し、あるときは一弓のヴァイオリンのロングトーンとなり、またあるときは打楽器のようなノイズを模倣する。そんな一人何役もこなし、瞬時に場面を切り替える、そんな「美味しい」部分を一つの曲の中で何度も体験することができるメディアなのです。

マンドリン合奏=大人のプラモデル説。モデルだからこそ、作品の本質部分を取捨選択せざるをえないし、それをデフォルメできる。その自由さがたまらないのです。モデルだからこそ、弾くほうも聴く方も、想像力を掻き立てられるのです。もしかすると、、、って思える楽しみ、これこそがマンドリン合奏の最大の魅力であり、私がクラシック音楽作品を編曲し続ける理由なのです。本日の演奏が、みなさんの想像力を掻き立てるものであることを願っています。

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意識していること [演奏会]

先日、7年ぶりですかね、クリマン演奏会に顔を出してきました。下の子が生まれる年、第20回定演で卒業して以来、ずっと不義理をしてきましたが、ようやく時間がとれました。まずは青山さんや小野さんらに挨拶できて一安心なり。
 
この日は、たまたまタイミングが上手くあったことも理由だったのですが、ぢつは「自分探し」の意味合いがあって、私を育ててくれたクリスタルの生の音を久しぶりに聴きたくなったのです。一部の人には年賀状にも書いたのですが、今年の私自身のテーマが「トレモロの見直し」なんです。最近の練習は、ほとんど毎回といっていいほど録音をしており、コンマスとしての自分の音は何度も繰り返しレビューできる状況となっています。

でね、

ここ1~2年、自分自身のトレモロに不満がでてしまって、、、トレモロの粒々があまりに均等でないケースが目立ってしまうんです。アタックや小細工がありすぎて、録音で聴くと粗が目立ってしまう。またどうも自分のトレモロのスピードが往年に比べて遅くなったような気がしてね。。。

で、青山さんの演奏で何かヒントを、と思ったのです。で、会場ついたら、なんだ、青山さん、指揮のみぢゃん! あらあらと思いつつ、でも他のメンバーのみなさんも非常にきれいなトレモロをする人たちだし、世界一のドラパートの秘訣もさぐってみたかったので、気を取り直して楽しんでみました。

演奏会の第一印象は、男性陣、みんな年とったなあ。。。!ってこと。自分のことはおいといて、、、女性陣がちっとも変わらずお元気そうなのと対照的に、みんな○○○になったなあ、貫禄でてきたというか横に広がったというか、髪の毛が(以下、自粛)、、、、、笑 青山さんだけはちっとも変わりませんでしたけどね。

1曲目のニューシネマが一番良かったかな? 武蔵野小ホールのなせる技か、マンドリン合奏というチューニングがあいにくい楽器の特性上の問題か、1曲目が一番透き通ったきれいな音をしていました。で、曲が進む中で、印象的だったのが「歌心」かな。これは最近の青山さんの真骨頂なのでしょう。少ない練習にもかかわらず、「俺達はお気楽だから、、、」って謙遜されてましたけど、非常に心地良く「歌」を歌っているんですよ、メンバーの一人一人が。これは、おそらくみなさん意識していないでしょうね。それだけ、なんだか自然に、ごくごく当たり前のこととしてにじみ出ているようでした。私がいたころのクリスタルとは、もしかするとちょっと違うかも。

この感覚は、お世辞でもなんでもなくって、今の自分にもっとも足りないものかなあと気付きました。あまりにも、自分達の音楽は、「音楽を難しく考えすぎている」なあと。

私自身、意識的に技術的なチェックをしていたし、普段はメトなどでコンマスをしているため、それがわかってしまう立場にいるのですが、やっていることや目指していることはそれほど変わらないのですよ。例えば、最後までちゃんとトレモロをするとか、音の拍感や上向き下向きなどを意識する、見栄をはるためにトレモロのカットを切りそろえるなどなど。昨日のクリスタルは、そうした音楽の基本的なことを、ごくごく自然に、あまり意識しない形でごくごくふつーに実現できているんですよ。

これには少しびっくり。何が理由かなと思ったのですが、あまり秘訣まではわかりませんでした。青山さんがそうしたことを徹底するような練習をしているとも思えないし(笑)、メンバーの音楽性が飛びぬけてすごい人たちばかりというわけでもなく(笑)、ごくごく普通に好きなことを、それなりに努力して、時間がないなかで一生懸命練習して、上手く出来た出来ないは本番なのでいろいろありますし、終わったら「ま、こんなもんだろ?」ってことでお気楽に美味しいお酒を飲む、、、

決して普段の我々とは大きくは違わないと思うのです。でもね、今のクリスタルはそれが出来ていて、メトやベラではそれが出来ていない。この違いは、かなり深刻なレベルかなあと思いました。

クリスタルのみなさんはね、おそらく人一倍、こだわりがあって、それを自負している団体だと思うのです。オケとしての方向性や目指すゴールはそれほどではないかもしれない。青山さんが理想とする「ふっと聴いている人の心の中に優しく入り込んで、じわじわっと温かい気持ちになれる」音楽を目指しているくらいかな?

でも、おそらく一人一人が、自分自身の出す理想的な音ということを極めて強く意識し、それを常に批評しあっているんだと思うのです。そういう文化がクリスタルにはあるのではないかな? 批評と書いたけど、難しい話ぢゃなくて、自分の出した音がどうだったのか、隣の人と確かめ合っている。言葉ではなく、音でメンバー間で会話をしている。「音」そのものが目的なのです。

これはね、一人一人はおそらく意識していないことでしょうけど、まさしくこのカルチャーがクリスタルのもっとも素晴らしいところだと思いました。私の周りでは、「音」は手段という位置づけがウエイトを占めていると思うのです。ある意味、もっと「高度」に音楽を捉えて、「解釈」やら「表現」にこだわりを持っている。それを意識している。例えていうなら、メトは「本を読む感覚」、クリスタルは「ご飯を食べる感覚」かな?

でもね、結果的には、両者はそれほど大差なく、どちらも良いところや欠点はあると思うのです。

正直、後半にはクリスタルの「音」ににごりが出てきたし(これは楽器の特性上、やむを得ないことでしょうね。それを目立たせない選曲は可能かもしれませんが、、、)、そのために聴いていて、だんだん平板に聞こえてきた点も否めないかもしれません。

また、編曲上の特性やオリジナル作曲家のオーケストレーションの癖もあるのでしょう、音響的に立体感が生まれにくく、フォルテは1色になりがちだし、独奏はパターン化してしまって、あまり新鮮味がないなあと思ってしまうなど、マンドリン演奏会の限界を感じてしまうこともありました(あ、個人技は、もちろん楽しませてもらいましたよ、良く楽器を鳴らしているなあ、とか)。 
 
クリスタルが武蔵野小ホールという器から抜け出たときに、どれだけ実力を発揮できるかは、もしかすると予想以上の落差があるのかもしれません。

でも、自分達にとって心地良い「音色」を追求して、そのためには指揮者の解釈やテンポなどをひっくりかえしてでも自分達を主張して、一球入魂にかけている。それを一つのパートとして高めあっている。
 
そんな良さを感じた一日でした。そういう気持ちが伝わるから、お客さんの拍手が温かかったのではないかな? 客層がかなり上だったのは気にはなりますが、ま、結果オーライでしょう。

最後に、、、それでもクリスタルはあまり変わっていないなあと思ったことが、少しうれしかったです。ドラの前二人は、油断すると左足がブルブル震え出すのは師匠のK氏ゆずりだし(爆)、ポーカーフェイスのマンドリンはぢつは内心ドキドキしているってのもばれてるし、マイペースなギターは相変わらずでした(笑)。

自分探しとこれからのヒントをたくさんもらえて、雪の中、時間を作れて、三鷹まで行ってとても良かったと素直に思いました。ひさーしぶりにもえさんにもお会いできたし、思いもかけない人とおしゃべりもできたし、たまにはこうした演奏会に出没しないといけないなあと思う今日この頃でした。

#おかテリさん、チケット手配、ありがとうございました。また機会をみつけて、おしゃべりしましょ!


演奏者のみなさま、お疲れさまでした。ありがとうございました!


タグ:mandolin
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演奏を作るもの [演奏会]

さて、第21回メトロポリタン・マンドリン・オーケストラのセルフレビュー2つ目。ソリストとしての感想を書いておきます。

本格的な独奏曲を演奏するのは、ベルク協奏曲、シベリウス協奏曲に続き、これで3回目です(あ、むかーし、別のオケでハンガリアの黄昏は弾いたか。。。笑)。で、いずれも、自らやりたいと話したことはないはずで(笑)、ししょーや指揮者から冗談半分、「次回は〇〇やるよー、弾けるよね?」「ほんとにやるんですか? しょうがないなあ、、、」ってノリで引き受けてしまったものばかり(=拒否権はない)。

毎回、安易に引き受けたことを後悔するのですが、今年は別の意味で非常に辛い時間が過ぎました。かなり早い譜出しだったので4月からフルに弾いていたのですが、この練習でね、メンバーの反応がないんですよ。。。




それまでの2曲は、なんだかんだ言って、練習中に曲が終わった瞬間、メンバーがいろいろな反応をしてくれていたんです。驚きや賞賛、あるいは失敗したときの苦笑など、良い意味でも叱咤激励であっても、それを感じていました。ところが、この曲はほんとに最後の最後まで反応がなかった。実際に音があまり聞こえていなかったのかもしれませんね。良いとも悪いとも言われなかったので、さすがにさとーの演奏も飽きられたかな?とか、マンドリンでやる意味を感じないとの無言のプレッシャーともとってしまったりと、ずいぶんと悩みました。このくらいの表現ぢゃ、メンバーや編曲者、指揮者も納得してくれないのかなあと。。。


今となっては、ツィガーヌはメンバーにとってもつかみ所のない「うなぎ」だったのかもしれないとも思います。あるいはさとーはこれくらい弾けて当たり前との評価であったのかもしれませんが、まあ、プレッシャーは前回以上にあるわけでした。初演者である望月君の素晴らしい演奏もあったわけですしね。

そんな中で、大きな決断をしました。前回シベコンの反省でもある暗譜で弾くこと。この年齢で、コンマス専業というこれまでのキャリアから考えて、暗譜で通すことは、これはこれは大きなハードルなのです。音楽家として曲を止めてしまうことほど、怖いことはありませんよ。それまでのすべての努力を無にしてしまいますからね。暗譜で弾いた経験は、学生のころ、ソロコン予選に出たときくらいかな?(あの時はE線2本を切ってしまって予選落ちでした。。。笑)

そうでもしないと、自分の満足できる演奏は出来ないと思ったのです。この決断が、本番3週間前。2週間前にはものすごく後悔して、やっぱり譜面を見ようと何度も低きに流れていました。ステマネには迷惑をかけましたが、セッティング表には最後まで譜面台を置くことにしてましたよ。

でも、その決断が結果的には譜読みの深さや曲の全体感を表現するのに非常に効果があったようです。本番2週間くらい前からは、頭の中はツィガーヌかツィガーヌでないかと2分されてましたし、他の曲は一切頭で鳴らせないような状態でした。

それなりの演奏をするには、少なくとも自分の技術レベルでは、これくらい追い込まないといけないんだなあとあらためて気付くことができたのが今回の収穫かな。おかげさまで、少なくとも冒頭のカデンツァについては、指揮者や編曲者をはじめとしてメンバーの皆さんからは高い評価をいただきました。やっぱり練習では上手く弾けてなかったのね。。。笑

自分自身の課題としては、これがまだまだ客席の評価であるわけではないことですかね。普段私に接している人からすれば、驚異的な演奏だったかもしれませんが、初めて演奏を聴くお客さんにしてみれば、マンドリンとはこんなものかとか、音量小さいなとか、迫力不足が否めないとの声もありました。それはきっと事実なんでしょうね。

今回、カデンツァに象徴されるように、自分自身の中であまりマンドリンを意識せずに、自由な発想で音楽を奏でることができたと思います。マンドリンという楽器の制約からいかに自由な音楽を作り出すかという自分のテーマは今後も変わりはないと思いますが、一定レベルで実現できるようになったのかな。それくらいの技術は身につけたのかなとの思いもあります。

そうした上で、さらなるパフォーマンスができるよう、精進をしていきたいです。

今回、苦労はしたのですが、本番の演奏がああいう形でそれなりに出来たのには、いくつかの理由があったと思います。その一つ。冒頭、1小節目の連打。初めて出すあの会場での響きを聴いて、確信を持って直後のブレイク時間を長くとったこと。本来であれば3拍目までギリギリ伸ばして、短い8分休符を置いた上で素早い回転を行うのですが(フレーズをちゃんとつなげる)、この小節だけは拍感を打ち出さずにロングトーンのトレモロを短めにして、音を切らない形で半分フェルマータにして時間を止めてみたんです。客席からすると気付くか気付かないくらいの時間ですが、演奏する側からしてみると非常に長い時間です。このときの会場の響きや会場の空気を感じて、非常に挑戦的な演奏ができると直感したんですよね。その後は一気にテンポ通りの演奏に。

#カデンツァ風にという譜面の指示なんだから、1小節目くらいは崩して弾いてもいいでしょ?(笑) あとは譜割り通り弾いたつもりなので。。。

そんな技術的な「かけひき」ができた瞬間でした。何がきっかけになるかはわからないのですが、自分自身の全神経を集中させて、周りと対話して、そこに初めて自分自身も聴いたことのない音楽が生まれる、そんな経験ができたことを素直に喜びたいと思います。そしてますます自分自身は透明で真っ白いキャンバスになって、多くの人の想いや多くの響きの力を得て、一つの表現ができればと思います。

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余韻に浸る間もなく。。。 [演奏会]

この1週間、終電やらタクシー帰りやら、連日の自転車操業ですっかり仕事モードに戻っていました。さすがに疲れたね。

さて、先週12日は、メト演奏会でした。会場にお越しいただいた皆さん、またさまざまな形で応援していただいた皆さん、ありがとうございました。非常に気持ち良く演奏会を終えることが出来、楽しい時間を過ごすことができました。

さて、ウェブ上では見事にスルーされてしまったので(笑)、ちゃんとセルフレビューをしておこうと思います。今回は2つの立場での感想を。。。

まずは、コンマスとして。メトは、選曲や編曲の特徴をアピールしているので、内外の評価もそのまま受け止められていると思います。それを否定するつもりはまったくありませんが、やはりコンマス(=労働組合トップかな?w)という立場からすると、その演奏で評価して欲しいという気持ちが年々高まっています。

で、その点からして、今シーズンの出来はまだまだかなあ。。。苦笑 ちょっと厳しめですね。

練習で出来たことを本番で再現できたと言う点では95点くらいつけても良いと思います。大きな事故もあったけど、ドビュッシーの雰囲気はメトの真骨頂ではないでしょうか? 演出の助けを借りてメンバーがその気になったとは思いますが、それでも10年以上もラヴェルやドビュッシーというフランス音楽を経験して、それなりの語法が身に付いた成果だと思います。

個人的に一番うれしかったのは、ドビュッシー3楽章の城門が閉じた後のシーン。4幕4場、外苑の泉で、ペレアスとメリザンドがお互い愛の告白をして、扉が閉まって一線を越えてしまったという場面です(その後はゴローが近づいて、クライマックスとなります)。

メトではオペラはほとんど演奏しないのですが(過去には、トリスタンとこの曲くらいですね)、このもっとも甘美な、時間の止まった瞬間を、本番でも上手く表現できたと思います。「歌伴」と言ってしまうと手抜きのように聞こえてしまいますが、そうではなく映像をサポートし登場人物の言葉に出来ない感情を代弁するもっとも音楽的な表現。これができたような気がして、メトの奏でる音楽が一つのエンターテイメントの域に達することができた、演奏面での新たなステージに突入したと思ったのです。

こういう実力がだいぶついてきたなあと思う反面、それが瞬間瞬間に現れるか否かという点で、まだまだ確実性や計算しつくされた演奏が出来ていないなあと思うのです。私の理想からすれば、まだ5~6割の出来かな。シベリウスも十分健闘しているとは思います。アマチュア音楽家でシベリウス後期3曲を演奏したことのある人は、それほど多くはないと思いますので、それなりにシベリウスの音楽を身につけてきたのかなあと。でも、まだまだですね。

指揮者の小出先生から、「メトの演奏で良かったものは、ほとんどが2回目」って言われて、確かにそうかなと思いました。繰り返しの演奏をしないと身に付かないことなんでしょうね。

こうしてみると、私自身の理想はある意味プロフェッショナルなんでしょうね。お金払っていただけるに値する演奏、あるいはエンターテインメントな時間を提供するということ。でもメトでは、そういうことをごくごくふつーのメンバーが行っている、否、行うことができるということを示していきたいんです。マンドリンの可能性を追求するって、結局は自分自身の殻を突き破るということですからね。プロ以上にプロらしいことができるのは、アマチュアの特権です。

最後に、新しいホールとの出会いについて。もう大満足ですね。その響きの素直さ、ステージ上とホールとの響きの違いがないことなど、非常に演奏しやすいホールでした。スタッフの充実したサポートもうれしいものでした。カザルスに比べると、音がそのまま前に飛んでくる分(もちろん響きを加えてですが)、マンドリンの高音域が耳についてしまいます。マンドリンのちょっとくどい嫌な音が聞こえてしまいがち。これは今後も調整できることなので、あまり気にはならないです。技術面での新たな音作りにチャレンジできると思っています。

ということで、長くなるのでとりあえずここまで。次はソリストとしてのセルフレビューです。

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真っ白いキャンバスになりたい [演奏]

ハイフェッツやグールド、チェリビダッケのように強烈な個性も確かに
必要かも。

でも、私は演奏者としては、「真っ白いキャンバス」でありたい。
自分自身の解釈や音が前面に出る必要はない。




もしかして器用貧乏なのかもしれないけど、その作曲家らしい音楽を
奏でることが一番だと思っている。それが自分自身の芸風なのだと思う。

長い時間と多くの聴衆や奏者という淘汰を経て、生き残った音楽作品。
その曲にあった、その作曲家らしい歌いまわしや音の処理があるはず。
それは、共通の財産だと思う。

自分自身を無にして、それを徹底的に表現したい。そこがスタート地点。
たとえ、それが最大公約数的で面白みに欠けると評されても。。。




どんなに楽譜を読み込んでも、読みこぼしがある。だから、一つでも多く
の演奏を聴いてみたい。自分自身の中に、血肉として音楽を吸収したい。
そして、自然な、誰からみても、その作曲家の作品らしい音楽を奏でたい。


そこがスタート。



そしてその結果が、自分自身の強烈な個性だと思いたい。。。

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音律と音階の科学 [音楽本]

小方厚著
 「音律と音階の科学」講談社ブルーバックス、2007年

こういう科学的な本ってのは、とってもいいですね。いままで今ひとつピンとこなかった
話がだいぶすっきりと頭の中に入りました。

音程が「差」ではなく「比」で決まるというのをあらためて認識。


ということは、、、「f」と「ff」ってのも、「差」ではなく「比」なのかな?

そう考えると、力の入れ具合も変わってきますね。



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3ヶ月をきって [演奏]

メト本番まで、3ヶ月をきった
まだ編曲もあがっていないが、シベコンソロの練習にはもう一時の猶予はない


そんな中で、今できる練習とは?
音はもうすでに取り終えた
運指も何度も工夫した
弦指定もいろいろなパターンを考えた



あとは、ひたすらゆっくりと、確実に、演奏できることを繰り返す
一定のテンポで、部分部分ではなく、滞りなく弾ききること
そう、7~8割のテンポで十分、否、そのテンポで必ず弾けるように
まずはそこができて、初めて土俵にのる

それがスタート




そして、、、、それがゴールかもしれない
それが出来なければ、音楽にはならない
評価の対象にものらない


メカニカルな動きをつかんでこそ、、、それができて初めて
自分自身の個性を考えよう
頭の中ではいくらでもシミュレーションできるのだから。。。


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巨匠たちのラストコンサート [音楽本]

中川右介著
巨匠たちのラストコンサート」(文春新書636、2008年5月)

これは結構面白かった。確かに、最後の演奏会って、演奏者としてはあまり
意識しないのかも。そしてそれが成功裡に終わることってのはあまりないの
かもしれませんね。こうした事実って、ちょっと残酷かな。。。

ただ、自分自身、どういう演奏ができたら、道楽から卒業してもいいってのは
意識しているつもり。好きな曲で、会心の演奏ができたら、もういいかなと
いうのにあこがれています。そんな日が来ることは、、、きっとないんだろう
なあ。。。笑
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コンサートプログラムのつくりかた [音楽本]

千蔵八郎著
コンサートプログラムのつくりかた」(春秋社、2007年10月)

この手の本はあまり見かけなかったかも。コンサートプログラムといっても、
ピアノリサイタルのみの考え方なので、オケにはあまり参考にならないかも
しれません。

でも、プログラムのパターン解説だけでなく、その中でどういう演奏をすべきか
という点を記載しているのは注目してもいいかも。結局、プログラムとは、選曲
だけでなく、一つの演奏会をどういう時間として作り上げるかということですからね。

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ボクたちクラシックつながり [音楽本]

青柳いずみこ著
 「ボクたちクラシックつながり―ピアニストが読む音楽マンガ」(文春新書 622)

 内容的には面白かったですが、うーん、どうしても「のだめ」をネタにした
便乗本と感じてしまいます。内容的にはほんといいんですけどねえ。。。

 それにしても、ピアニスト@不良債権といわれてしまうと、プロもなんだか
なあ。。。
 


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一曲入魂 [音楽本]

金聖響+玉木正之の「ベートーベンの交響曲」講談社現代新書1915より。

一つの作品を演奏するのに、その作曲家のいろいろな作品を聴くのは当たり前の
ようにやっていたが、次の視点はなかったかも。

思いっきり意訳すると(厳密には作曲時期の前後などいろいろあるけど)、、、

「ベートーヴェンの5番を演奏するのに、6番や9番などのことは忘れる。5番が
作られたときは、まだ世の中に6、7、8、9番などの作品は生まれていなかった。
作曲当時のそれまでの作品の集大成が反映されているのみ。後世の我々は
交響曲が9曲あることを知っているが、作曲した当の本人は、少なくとも作曲
時点ではそのことを知らない。」

ということで、ベートーヴェンの交響曲だけでなく、すべての作品において、
もう少し一曲入魂ということを真剣に考えて作品に対峙すべきなのかな?

それ以外で気になった言葉。

「音の事実を再現するだけ」

「頭の中の理想の音」と「現実に出ている音」との比較と瞬間的な調整

聖響さんの演奏はあまり聴いたことがなかったのですが、OEKのCDなど
少し集めてみようかな?


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たくさんのCDを聴くということ [演奏]

徹底的に違いを聴く。
テンポ、フレージング、アーテキレーション、バランス、音色、そしてリズム。

聴いて聴いて、さらに聴いて。
スコア見ながら聴き比べて。
部分で聴いて、全体で聴いて。

そして理由を考える。
わからない演奏はもう聴かない。自分にとって意味のある演奏は、10種類以上聴いて、せいぜい3種類くらいに絞られる。

それを何度も何度も繰り返す。自分にとって意味のある演奏は、何度聴いてもいつも新しい発見がある。

そしてようやく自分の引出になっていく。ようやくその作品の「しゃべり方」がわかってくる。


そこまでやらねば。
そこまでやらねば。
そこからがスタート。


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オフシーズンにやるべきこと [演奏会]

本番が終わったその瞬間から、
音楽的には次のコンサートへ気持ちが移っていく。
練習開始まであと半年以上。
この時期に何をすべきか?何ができるか?

まったくの空白期間を作ることも大事だけれども、
必ずいつかその時期は来る。一度来てしまったら、どんなに
悪あがきしても音楽が心に染みてこない。
回復には1週間のときもあれば、1ヶ月かかることもある。

ならば、この時期はひたすらインプットしよう。
次に取り上げる作品を聴きまくる。
今度はコンチェルトだから、おそらく数十種類の音源は聴くだろう。
骨と血に刻むだろう。

そして、まったく違う分野の作品も聴きまくる。
北欧だけでなく南欧の作品、スラブならばラテン、現代ならば古典、、、

自分の抽斗をひたすら広げるために。
自分の限界をひたすら超えるために。
自分の常識をひたすら打ち壊すために。

生まれ変わった気持ちで初めての練習日を迎えよう。
一番最初の聴衆は、ステージメンバーなのだから。


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リハーサル(ゲネプロ)でできること [演奏会]

本番直前のリハ@ゲネプロでできること。。。

なによりも会場の音響に慣れること。
そして、楽器間のバランスの調整、発音の調整、音量の調整、、、
楽器の調整なんてのもありますね。

でも、一番は、本番の成功をイメージすること。

たとえ、失敗した箇所があったとしても、何かを伝えられれば、
演奏会としては大成功のはず。その熱意をマグマのように
燃えたぎらせること。スイッチを入れるということかな?

そして本番直前、何をみんなに言って、自分の想いを伝えるか?
最後の一言が大事。

さてさて、明日は何を言いましょうか?(もう心に決めました)


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コンマスは誰の僕に? [コンサートマスター]

アマチュア演奏家として、パートトップとして、そしてコンマスとして、、、、
いったい誰に仕えるべき?

指揮者?
作曲家? 編曲者?
聴衆?
オーケストラ?
作品そのもの? 瞬間瞬間の音?
自分の愛器? 培った音楽観?

どれも正しいけれど、私はまずは「作品そのもの」に仕えたい
「作品」が持つ魅力をありのままに、謙虚に伝えたい
だから、「いい演奏だったよ」と評価されるより、

「ほんとにいい曲だね」

って言われたい

そんな記憶に残る出会いを演出できたらと思うのです


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鳥の歌 [マンドリン]

メシアンや吉松隆のような模倣や音素材ではなく、、、

マンドリンの発音は、鳥の声に似ているかもしれない
基本的には短い点の集合体

それにしてもあの音の抜け、遠鳴りはなんだ?
小さな体に共鳴しているわけでもなく、大空に反響板があるわけでもない
それでも複式呼吸のような存在感がある音
遠くの声でも決して他に埋もれない音の輪郭
まっすぐに向けられた音の方向感

そんな生命の音を、いつの日か出せるようになるのだろうか?


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コンサートマスター [コンサートマスター]

そういえば、これについて書いていないと思ってふと気づいた
半数が演奏会についての思いを連ねてる

そう、それは当たり前の話。自分自身がコンサートマスターだから
オーケストラマスターではなく、オーケストラトップでもなく、
オーケストラリーダでもなく、、、

あくまでも「コンサート」マスターなんだよね

その対象は、コンサートにあって、オーケストラはあくまでもその手段
コンマスは、「コンサート」全体の責任を一義的に負うのだ

指揮者が一つ一つの音楽作品に対して責任を負うのに対して、
コンサートマスターは、1回1回の「コンサート」に対して責任を負う

一つ一つの「演奏」責任だけでは足りないのだ

指揮者とオーケストラとの橋渡し、翻訳者、現場監督、、、
そんな言われ方をするけど、

その対象は、究極的には「コンサート」そのもの

聴衆との一期一会をどう作り上げていくか、それがスタート地点だ


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聴衆にどれだけ強いるのか [演奏会]

事前知識が全くない状態で聴いてもらう演奏会は、成り立たないのでは?

感動は格差から生まれるとすると、お客さんには何らかの期待を抱かせなければならない

曲を知ってる、練習の過程を知ってる、作品の背景を知ってる、指揮者の狙いを知ってる、音の魅力を知ってる、他団体との違いを知ってる、などなど

むいてもらう関心の対象は異なっていたとしても、その日その時間に至るまで、何らかのドラマがないと、どんなに良い演奏を行っても薄い印象しか残らない

だとすれば、演奏家として、事前情報として、どんなドラマを提供すべきなのか? 感情移入させるためには、どんな作戦が有効なのか?


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演奏会では目標設定をすべきか? [演奏会]

演奏会開催にあたって、団体として、指揮者として、オケとして、何か目標をたてるべきか? たてるならばどうたてる?

目標設定は良いが、達成度をどう測る? 誰が判断出来る? どれだけ実感を伴える?

「本番で間違えない」
「いついつまでに音をとる」
「指揮を良く見る」
「○○小節目のアンサンブルを上手く弾く」

こんな目標ではダメダメ 個人目標じゃないんだ ゴールも良く分からない

「お客さんをたくさん呼ぶ」
「良い音を響かせる」
「マンドリンの新しい魅力を表現する」
「ドビュッシーらしさを表現する」

これらもダメダメ ちっとも具体性がない

あなたならどんな目標立てますか?

個人的にもっとも印象深いのは、メトでレスピーギ@ローマの噴水をやったとき

「徹底的にppにこだわる」
「思いっきり、、、で」
※、、、にはppやmfで、途中で音をとめて、中途半端に、などが入る

簡潔かつ具体性があって、誰もがその成果を実感できた その後のオケの基本を作った素晴らしい目標だった

5年後、10年後に、自信を持てるような目標設定をしませんか?


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ドラマとは? [演奏会]

今年の演奏会のテーマを「ドラマ」とした。
主題歌ではなく、メイクドラマの方だ。

そこで、良い「ドラマ」とは何だろうと考えた。
良い「ドラマ」に必要な要素は?
物語や小説との違いは?
ドラマはどこに宿る?

【シナリオ】
 ・先が見えること?(水戸黄門や寅さんなどの安心感?)
 ・先が見えないこと?(筋書きのないドラマ?)
 ・ありえないこと? それとも共感できること?

【キャラクター】
 ・主人公(=主役パート、主題)の演技?
 ・名脇役(=対旋律)がいること?

【環境設定】
 ・時代を反映していること?
 ・舞台設定を日常にする? それとも非日常?

【オリジナリティ】
 ・何に心打たれるか? 原作と脚本、役者の演技やアドリブ?
 ・全体か部分か?

 ・・・等々

演奏会のテーマって、単に選曲のテーマだけでなく、こういう中身の
話もあるのではないかな? エンターテナーとして、誰かがこういうこと
を考えていないと。

でも、現実的なレベルで、演奏者、指揮者、事務局のそれぞれの視点で
どう議論すればいい? ベクトルをあわせるための手段や方法って、
どんなものがあるのだろう?


編曲方針 [編曲]

【対象】
・やりたい人がいること(その気持ちが大事)
・その団体にあった編成
・声部が複雑でないこと(楽器数の制約)
・ピアノ編曲版を参考にする(発声や音の減衰に違和感がないこと)
・金管楽器が単独で目立ちすぎない(代替が可能)
・あまり他の編曲がないこと、既存譜面に不満があること(編成、ギターの扱い、音域の変更、音の省略)
・クラシック作品としてある程度著名であること/入手スコアの活用(珍しいもの)
・テンポが早すぎないこと(細かい音が聞き取れない、弾けない)
・音域が高過ぎないこと

【手法】
・スコアの徹底研究(版の違い)
・編成の決定
・オーケストレーション(和声、旋律線)の再構築
・旋律楽器の選択(音色)
・ギター音域の拡大
・ソリスト多用による立体感の確保
・ポジション弦指定は最小限に
・和声上の音の省略、変更は最低限に、音量は柔軟に
・弾き方を工夫しないでもうまく聞こえるバランス


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マンドリンにあっている曲とは [マンドリン]

歴然とあることは事実

でも、音楽作品には普遍性や汎用性があると思う たとえそれが作曲家の意図に明らかに反するものだとしても 作品として生み出された瞬間から、作曲家の手から離れて一人歩きを始める それが出来る作品こそ、価値がある作品というのでは?

そして、それと同じくらい、演奏家の想いもあるかな 独り善がりと紙一重だけど、あるいは独り善がりであったとしても、その想いがない演奏よりは聴衆の心をうつ

だからこそ、自分にとっては、マンドリンに合うか合わないか、作品の別の面白さを表現出来るかってことには、それほど関心がない

あるのは自分の基準の中で、出来るか出来ないかだけ 面白いかそうでないかだけ

ちょっと予想外かな


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楽譜至上主義 [演奏]

演奏家にとって、楽譜はすべてであり、楽譜からすべてを読み取らねばならない

これを大前提とした上で、楽譜というものはあまりに不完全だ

楽譜に書かれているものは、ほとんどが相対的な指針であり、同じ記号が書かれていても、その前後関係などによって意味が変わって来る つまり解釈のない音楽演奏はありえない

作曲家が込めた思いのほんの何割しか表記されない はたまた、楽譜が書かれると言うこと自体、作曲家の一時点の思いでしかありえない 作曲家の心変わりまで楽譜は反映し切れないのだ

要は作品の解釈が、納得性のあるものなのかだ 説得力があるものなのかだ


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演奏会はラーメン屋と同じ [演奏会]

一つの味を徹底的に追及しないと、早晩つぶれるのみ

お客さんはファンとして引き継がれる 卒業するお客がいることは事実 お客の成長とともに、その人自身が味を受け入れなくなることもある それでもお客さんの心には残るはず

支店を出す必要なし 評判が評判を呼ぶ これまでのお客さんと新しいお客さんとの違いなんてあるはずはない たとえ周りの環境が変わったとしても

そして調理人が変わっても、レシピと味へのセンスは変わらない それこそ門外不出と時間の重み

そんなお店、兼業で出来るはずない 24時間365日が勝負


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